「ひょうたんなまず」 京都 退蔵院 ― 2009/09/22 09:52
親の様子を伺いに、関西に帰っていました。病院やお墓参りなどつきあって、少し空いた時間に、京都散策。今回は花園にある退蔵院の庭園を見に行ってきました。
如拙の山水画「瓢鮎図」(ひょうねんず)のあるお寺です。この絵は「瓢箪で鯰を捕らえることができるか」という不思議なお題目を足利義持がだし、それに対して如拙が描いたものと言われています。この絵に高僧たちが文章を書いたものも付け加えられています。複製画が飾られていたのですが、絵の下には僧たちの賛が漢文体で書かれ載っていました。(さぞかし機知に富んだ楽しい文章がそろっているのでしょうが、漢文が読めないのが残念・・。
つるつるしたひょうたんで、ぬめっとしたナマズを取り押さえるなんて、至難の技。捕まえようとする男やふてぶてしい鯰の表情もユーモラスで、ほほえましく笑える作品です。
現代では、とらえどころがない様子とか、要領を得ないことを「ひょうたんなまず」っていいますが、こんなところから来ているんだなと感心しました。
退蔵院には、大きな日本庭園もあって、ゆっくり時間を過ごしました。藤棚の下、長いすにすわると木立におおわれた広い池が一望できます。風通しがよく、とても気持ちいいです。どこからか涼しげな音が聞こえます。
見ると、おもしろい蹲(つくばい)がありました。蹲とは、手を清めるために置かれた手水鉢のことなのだそうですが、(手水で手を洗うときつくばう(しゃがむ)」ことからその名があることを、初めて知りました・・。)手を洗おうと近づくと地中から涼しげな鈴のような音がするのです。近くの看板を見ると、「水琴窟」と書かれていました。
地中に瓶を埋め込んでつくるそうです。手水に使われた水が、地中の瓶の中に落ちて反響し、琴の音のように広がって聞こえる。本当に凛とした震えるようないい音です。昔の人はいろいろと風流なことを考え出して、日々を楽しんでいたんですね~。
如拙の山水画「瓢鮎図」(ひょうねんず)のあるお寺です。この絵は「瓢箪で鯰を捕らえることができるか」という不思議なお題目を足利義持がだし、それに対して如拙が描いたものと言われています。この絵に高僧たちが文章を書いたものも付け加えられています。複製画が飾られていたのですが、絵の下には僧たちの賛が漢文体で書かれ載っていました。(さぞかし機知に富んだ楽しい文章がそろっているのでしょうが、漢文が読めないのが残念・・。
つるつるしたひょうたんで、ぬめっとしたナマズを取り押さえるなんて、至難の技。捕まえようとする男やふてぶてしい鯰の表情もユーモラスで、ほほえましく笑える作品です。
現代では、とらえどころがない様子とか、要領を得ないことを「ひょうたんなまず」っていいますが、こんなところから来ているんだなと感心しました。
退蔵院には、大きな日本庭園もあって、ゆっくり時間を過ごしました。藤棚の下、長いすにすわると木立におおわれた広い池が一望できます。風通しがよく、とても気持ちいいです。どこからか涼しげな音が聞こえます。
見ると、おもしろい蹲(つくばい)がありました。蹲とは、手を清めるために置かれた手水鉢のことなのだそうですが、(手水で手を洗うときつくばう(しゃがむ)」ことからその名があることを、初めて知りました・・。)手を洗おうと近づくと地中から涼しげな鈴のような音がするのです。近くの看板を見ると、「水琴窟」と書かれていました。
地中に瓶を埋め込んでつくるそうです。手水に使われた水が、地中の瓶の中に落ちて反響し、琴の音のように広がって聞こえる。本当に凛とした震えるようないい音です。昔の人はいろいろと風流なことを考え出して、日々を楽しんでいたんですね~。
映画「女の子ものがたり」 ― 2009/09/29 14:26

先日、講師をしていた時からの古い友人と渋谷のシネクイントで映画「女の子ものがたり」を見てきました。○十代の女性ふたり、『「女の子ものがたり」は、ちょっと気恥ずかしいね・・。』なんて言っていたのですが、なかなか、とてもいい映画でした。
西原理恵子のマンガが原作です。スランプに陥り、作品の描けなくなった漫画家が、思い出すのは、少女時代。仲の良かったきいちゃんとみさちゃんとの大切な時間です。
どこのお話しなのか地名が映画には出てこないのですが、(ロケは愛媛県)片田舎が舞台です。咲き乱れるひまわり。猫じゃらしの生い茂る坂道。真っ青な空へと続く海原。赤い陸橋。深緑の木々が覆う山々。素晴らしい自然です。その中で貧しいけれど、漫画家志望のなつみは友人たちとかけがえのない日々を送っています。
きいちゃんとみさちゃんは、人生の困難に立ち向かい、田舎で男の人につくして平凡な人生を選ぶけれど、でも、それもとっても輝いて描かれています。漫画家になるべきか、田舎をでるべきか、悩むなつみ。そのなつみの背中をぐいっと押すように、きいちゃんはなつみにむかい、「あんたはうちらとは違うと思ってるやろ。この街から出て行け。」と言葉を投げかけ、大げんかをするのです。なつみのことを思い、わざと汚い言葉をなげるきいちゃん。健気で切ないきいちゃんのセリフ、ジーンときてしまいます。
登場人物もいいのですが、もう一つ、画面の色の美しさもこの映画の魅力です。海、山、空、雲、植物、・・、さまざまな自然の色。そして、登場する3人の女の子たちも、それぞれのイメージにあわせ、黄・青・ピンク・・と色がまた、その背後にちりばめられていきます。生命力溢れる色の美しさが、物語に奥行きを与えていきます。
友人たちとの秘密基地、その廃屋の壁一面に、なつみが描く絵がありました。小さな女の子が、道を眺めている。道には何故か、不思議な光景が・・。歩みの遅い亀の背中に大きな地球が乗っています。旗を立て、遠い山々や波間を渡って行こうとしています。その絵もまた、原色の美しい色で彩られ、遠く続いていくのです。。人生は辛く、思った以上に、困難で、大変なものだけど、女の子の(女の子だった時間をそっと心に抱える人の??)それぞれの道はしっかりと続いているんだ。最後に描くことへの希望を思い出す映画の主人公の気持ちと重なって、見終わったあと、不思議な爽快感が広がる映画です。
映画が終わった後は、マークシティー京料理店「御蔵」で友人と尽きないおしゃべり・・。とても楽しいひとときでした。
西原理恵子のマンガが原作です。スランプに陥り、作品の描けなくなった漫画家が、思い出すのは、少女時代。仲の良かったきいちゃんとみさちゃんとの大切な時間です。
どこのお話しなのか地名が映画には出てこないのですが、(ロケは愛媛県)片田舎が舞台です。咲き乱れるひまわり。猫じゃらしの生い茂る坂道。真っ青な空へと続く海原。赤い陸橋。深緑の木々が覆う山々。素晴らしい自然です。その中で貧しいけれど、漫画家志望のなつみは友人たちとかけがえのない日々を送っています。
きいちゃんとみさちゃんは、人生の困難に立ち向かい、田舎で男の人につくして平凡な人生を選ぶけれど、でも、それもとっても輝いて描かれています。漫画家になるべきか、田舎をでるべきか、悩むなつみ。そのなつみの背中をぐいっと押すように、きいちゃんはなつみにむかい、「あんたはうちらとは違うと思ってるやろ。この街から出て行け。」と言葉を投げかけ、大げんかをするのです。なつみのことを思い、わざと汚い言葉をなげるきいちゃん。健気で切ないきいちゃんのセリフ、ジーンときてしまいます。
登場人物もいいのですが、もう一つ、画面の色の美しさもこの映画の魅力です。海、山、空、雲、植物、・・、さまざまな自然の色。そして、登場する3人の女の子たちも、それぞれのイメージにあわせ、黄・青・ピンク・・と色がまた、その背後にちりばめられていきます。生命力溢れる色の美しさが、物語に奥行きを与えていきます。
友人たちとの秘密基地、その廃屋の壁一面に、なつみが描く絵がありました。小さな女の子が、道を眺めている。道には何故か、不思議な光景が・・。歩みの遅い亀の背中に大きな地球が乗っています。旗を立て、遠い山々や波間を渡って行こうとしています。その絵もまた、原色の美しい色で彩られ、遠く続いていくのです。。人生は辛く、思った以上に、困難で、大変なものだけど、女の子の(女の子だった時間をそっと心に抱える人の??)それぞれの道はしっかりと続いているんだ。最後に描くことへの希望を思い出す映画の主人公の気持ちと重なって、見終わったあと、不思議な爽快感が広がる映画です。
映画が終わった後は、マークシティー京料理店「御蔵」で友人と尽きないおしゃべり・・。とても楽しいひとときでした。
「私の東京」 ― 2009/09/30 10:05
大阪時代の友人、写真家・伊藤昭一さんの個展が新宿のエプソンイメージギャラリーエプサイトで行われました。
「私の東京」というタイトルです。多摩川の河川敷、新宿、駒込、亀戸、足立・・、町並みの裏通り。電線の伸びる小道。遊ぶ子どもたち。廃墟のような工場。けだるく歩く女の後ろ姿。雑草の生い茂る空き地の塀でこちらを挑むように見つめる猫・・。なぜか懐かしい、みたことのある風景が白黒の世界に切り取られています。ここにあるようで、ないような・・。タイムスリップしたような空間。漂流者としての伊藤さんがみつめる風景は、何かをいいたくても言えない、風景から像が立ち上がる前のもどかしさ、危うさを感じさせました。
一連の作品には次のような文章がそえられて、これから物語が始まるようです。
「私小説を書くように、自分と自分のいる場所を伝えたかった。ちょうど不惑の時期、体を壊し、仕事と家庭をなくして、ここにたどり着いた。わたしを誘ったものはなんだったのか。どうしてここにいるのか。短い旅をくり返すような感覚で東京の街を歩き、写真を撮りながら、わたしの分身たる主人公はいまだ問いつづけている。」
「私の東京」というタイトルです。多摩川の河川敷、新宿、駒込、亀戸、足立・・、町並みの裏通り。電線の伸びる小道。遊ぶ子どもたち。廃墟のような工場。けだるく歩く女の後ろ姿。雑草の生い茂る空き地の塀でこちらを挑むように見つめる猫・・。なぜか懐かしい、みたことのある風景が白黒の世界に切り取られています。ここにあるようで、ないような・・。タイムスリップしたような空間。漂流者としての伊藤さんがみつめる風景は、何かをいいたくても言えない、風景から像が立ち上がる前のもどかしさ、危うさを感じさせました。
一連の作品には次のような文章がそえられて、これから物語が始まるようです。
「私小説を書くように、自分と自分のいる場所を伝えたかった。ちょうど不惑の時期、体を壊し、仕事と家庭をなくして、ここにたどり着いた。わたしを誘ったものはなんだったのか。どうしてここにいるのか。短い旅をくり返すような感覚で東京の街を歩き、写真を撮りながら、わたしの分身たる主人公はいまだ問いつづけている。」