お休み。2010/07/09 20:06

  体調を少しくずしたのと、サボり癖がまたまたでてきました。ごめんなさ~い、ブログお休みさせていただきます。

「蝶の行方」展2010/05/21 15:04

 茅場町の森岡書店で行われた、詩人柏木麻里さんの「蝶の行方」展に行ってきました。

 森岡書店は、霊岸橋の近く、レトロなビルの一室にあります。ヨーロッパの書物を主に置いている、とても静かな書店です。その部屋の白い壁一面に柏木さんの詩の言葉が、描かれていました。詩集に印刷された言葉ではなく、建物の一部として、空間の中に言葉が放たれると、まるで生き物のように言葉が見えてきます。

 最近書かれた詩編「蝶の行方」と、前詩集『蜜の根のひびくかぎりに』の中の詩編とをクロスするようによんでいかれました。朗読家の岡安圭子さんと柏木さん二人の声でシンクロするように進めていかれます。それぞれが響き合うように、広がる空間が密室の中に誕生します。蝶の微かに飛ぶ(生の)軌跡を追いかける。蜜のしたたり落ちるしずくを見つめる。静謐で深い不思議な時間がたゆたっていきます。蝶の生きる時間は短いのに、何か遠いところから声が届くようなとても大きな時間を感じてしまいます。

 朗読家岡安さんの声は、伸びやかで温かみがあり、発せられる言葉がすうっと心に落ちていきます。最後は、壁一面に書かれた文字をそれぞれお二人が重なり合うよう一気によんでいかれたのですが、無数の蝶が文字から羽ばたき飛んでいくようで、幻想的で圧巻でした。

 朗読後、岡安さんがどうしてインスタレーションをするのか聞いていらっしゃったのですが、それに答える柏木さんのお話がとてもおもしろかったです。

 言葉には触感があるんじゃないか。紙面から文字が空間の中に解放された時、その触感が響きを持ち始めるのではないか。たとえば、天井近くの壁に書かれた文字を見ると自分の背丈よりも高く、文字が自分に与える質感が変わってくる。文字の持つ世界が変わって見える。・・・たしか、そんな内容のことも話されたと思うのですが・・。とっても納得してしまいました。「言葉の触感」。たしかに。ひとつひとつ言葉にありますよねー。高橋典子さんの照明も幻想的で美しかったです。

『悲しみを聴く石』(白水社)2010/04/21 18:29

 アティーク・ラヒーミーの『悲しみを聴く石』を読みました。詩人の関口凉子さんの翻訳です。作者はアフガンからフランスへ亡命した映像作家。映像作家が書いた物語だからかもしれませんが視覚的で、演劇をみているようでした。舞台は一室のみ。部屋の中で延々と話は進んでいきます。

 どこの国で何という都市か、固有名は出てきませんが、アフガニスタンを思わせます。戦争で傷つき、植物人間になった夫に、妻がひたすら語りかける物語です。夫はそれに答えることができません。人としての意識はあるのに、石のように押し黙ったまま。緊迫した時間が流れていきます。戦争という残酷な現実の中で、妻は、今までの自分の境遇や心情、ついには自分だけの心の中にしまっていた秘密までも、石に向かって告白していきます。息詰まる「語り」の力。衝撃的なラスト。一気に読んでしまいました。

 小説は、次の一説で始まります。

  ーアフガニスタンのどこか、または別のどこかでー

 この緊迫した現状は、アフガニスタンの話だけではないと作者はいいたかったのかもしれません。ダリー語とフランス語、二つの言語の中で揺れ動きながら、書かれた、この小説の魅力について、関口凉子さんが書かれたあとがきも読み応えがあります。

「旧蚕糸試験場フロッタージュ・プロジェクト2010」2010/03/26 22:46

3月6日、 岡部昌生さんの「旧蚕糸試験場フロッタージュ・プロジェクト2010」に行ってきました。

 日野市甲州街道駅の近く、閑静な住宅街を抜けると、仲田小学校が見えてきます。その隣には、小さな森が広がり、森は「自然体験広場」と名付けられ、子供たちの遊び場になっています。生い茂る木々の間、小道をたどっていくと、一軒の廃屋。そこが会場でした。

 このあたりに蚕糸試験場があったなんて全然知りませんでした。廃屋は蚕を飼育していた蚕室だそうです。

建物の2階はしきりや柱のない長い部屋です。ここで蚕が飼育されていたとか・・。空調を調節するため、窓がいくつも並びます。窓からは鬱蒼と木々が見えます。空中に浮かぶ不思議な空間。この部屋に岡部さんのフロッタージュ作品がならんでいました

 横浜から八王子まで、絹の道を歩き、路上に紙を広げ、鉛筆を動かし、その下に広がる図面を擦りとる。フロッタージュの技法です。その町に封じ込まれた時間(「都市の皮膚)を映し取りたいと岡部さん。北海道の桑園、養蚕の盛んな地に住んでいらっしやったアーティストは、この地とつながるような感覚、自分の原風景を持っていらっしゃるのでは・・。廃鉱や廃墟・・。時間の流れの中で置き忘れにされた地をうつしとってきた岡部さんの思いが続いているようです。

 また、仲田小の子供たちと広場の中で擦りとったフロッタージュ作品も置かれていました。石をこする鉛筆の音が部屋の中一杯に流れていました。ずっと聞いていると、不思議に蚕が桑の葉を食べる音にも聞こえてきます。部屋の中にいると、蚕を飼っていた頃の時間が戻ってきそうです。子供たち、未来へ・・、この止まった時間が引き継がれていく。そんな感じもしてきます。

 この企画をすすめたのは首都大学東京の学生さんたちです。学生主催によるシンポジウムも行われ、刺激的な一日でした。アートが人をつなぐのもいいですね。

「麗しのうつわ」展 (出光美術館)2010/03/24 18:26

 出光美術館で行われた「麗しのうつわ」展に21日、行ってきました。柏木麻里さんが企画なさったものです。

 日本のやきものの名品を一同に見ることが出来て、とても贅沢な時間を味わうことができました。入り口を入るなり、野々村仁清の茶碗や茶壺が出迎えます。野々村仁清は、17世紀京都で活躍した京焼作家だそうで・・。あの有名な尾形乾山も仁清から技法を学んだとか・・。

 その艶やかな「色絵芥子文茶壺」に見とれてしまいました。深紅の芥子が壺一杯にいくつも咲いています。その、花々の配置と色の配合が絶妙で、何ともいえないバランスをとっています。花の上には金彩がほどこされ、裾の方には蒔絵のような黒い雲形。優雅な趣です。

 「朝鮮唐津上手付水注」も良かったです。京焼と違い、技巧的な絵柄の美しさではなく、素朴な土の感触が楽しめるような陶器です。釉薬の流れで生じる自然の色の美しさ。白釉が流れだし、黒鉛釉と混ざり合うその境界に時間を忘れるほど開放的に広がるコバルトブルーの美しい空間。偶然に生まれる色や余白に昔の人は美意識をかんじていたのですね。秀吉が朝鮮半島から陶工を日本に連れ帰り、作らせたと聞いたことがあります。時代背景も複雑です。

 茶碗の銘にもひかれました。釉薬をかけ残し、白い余白を梅の花びらに見立てた「此花」。闇のような深い色合いが能面を思わせる「黒面翁」。あんなお茶碗でお手前を見て、お茶が頂けたら・・・。(すごすぎる・・。)手のひらに包まれた言葉、ぐわ~んと広がる小宇宙。ものすごい贅沢でしょうね。楽しませて頂きました。