「たこぶねの会」 ― 2009/10/26 14:34
図書館に委託員として勤めているのですが、お恥ずかしいことにあまり本を読んでいません。よくレファレンスで本のことを聞かれます。「三浦しをんさんの最新作はなんですか?」「篠田節子の『純愛小説』、あらすじ教えて下さい。」等々。小説に関することが多いです。(詩集なら少しは読んでいるのですが・・・)とてもすぐには、答えられません。中央館から派遣されている嘱託員の方が、とんできて、代わりに説明して下さいます。これではいけない、と常々思っていたのですが・・。
そこで、読書会「たこぶねの会」に、お願いして参加させていただくことになりました。
「たこぶねの会」は詩人の水野るり子さんが中心に横浜で行っている読書会です。詩人だけでなく、元アナウンサー・朗読家・主婦・・、多彩に約十数名の出席。感想がみんな鋭くて、とても楽しい時間を過ごすことが出来ました。
今回はカズオ・イシグロの『夜想曲集』を読むことになっていました。「音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」というサブタイトルがついています。ヴェネチア・ロンドン・ビバリーヒルズ・・、さまざまな土地を舞台に、人生の黄昏時を感じている人々が登場します。音楽が重要な要素になっていて、とてもしゃれた作りの短編集でした。自分の限界がそろそろ見えだした年代、でもまだ人生に対する欲も捨てきれず、そのジレンマにもがく人々を時にコメディータッチで滑稽に、あるいはシリアスに、小説はうまーく形作っていきます。
5歳まで、長崎に住んでいたカズオ・イシグロ。イギリスに渡ってからは日本語を使うことはなかったそうです。(読書会で教えて頂きました。)
日本とイギリスの間で揺れ動き。ミュージシャンになりたくて世界各地を転々と放浪し。漂泊者としての作者の趣が、この小説にも感じられるようでした。次回は、『日の名残り』を読む予定。
これから越境文学を読んでいこうということで、多和田葉子や水村美苗、リービ英雄等々、読んでいく予定です。今からとっても楽しみです。
そこで、読書会「たこぶねの会」に、お願いして参加させていただくことになりました。
「たこぶねの会」は詩人の水野るり子さんが中心に横浜で行っている読書会です。詩人だけでなく、元アナウンサー・朗読家・主婦・・、多彩に約十数名の出席。感想がみんな鋭くて、とても楽しい時間を過ごすことが出来ました。
今回はカズオ・イシグロの『夜想曲集』を読むことになっていました。「音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」というサブタイトルがついています。ヴェネチア・ロンドン・ビバリーヒルズ・・、さまざまな土地を舞台に、人生の黄昏時を感じている人々が登場します。音楽が重要な要素になっていて、とてもしゃれた作りの短編集でした。自分の限界がそろそろ見えだした年代、でもまだ人生に対する欲も捨てきれず、そのジレンマにもがく人々を時にコメディータッチで滑稽に、あるいはシリアスに、小説はうまーく形作っていきます。
5歳まで、長崎に住んでいたカズオ・イシグロ。イギリスに渡ってからは日本語を使うことはなかったそうです。(読書会で教えて頂きました。)
日本とイギリスの間で揺れ動き。ミュージシャンになりたくて世界各地を転々と放浪し。漂泊者としての作者の趣が、この小説にも感じられるようでした。次回は、『日の名残り』を読む予定。
これから越境文学を読んでいこうということで、多和田葉子や水村美苗、リービ英雄等々、読んでいく予定です。今からとっても楽しみです。
十三夜 ― 2009/10/30 21:51

今日は、十三夜でした.。旧暦9月13日のお月見のことで、旧暦8月15日の十五夜の約一ヶ月後に巡ってきます。
十五夜は中国から伝わった行事ですが、十三夜は宇多法皇(一説には醍醐天皇)の時代に始まった日本独特の風習だそうです。十五夜の次に美しい月と言われています。十五夜は里芋など収穫物を供えるのに対して、十三夜は、大豆や栗などを供えるそうです。
十五夜または十三夜のどちらか一方しか月を観ないことを「片見月」と呼び、縁起が悪いことと言われています。江戸時代の遊郭で、客に足を二度運ばせるため、このような言い伝えが生まれたとか・・。(風流ですが、商魂たくましい・・。)
十五夜を観ることができなかったわたしは、片見月になってしまうので、お供え、芋と栗、一緒に置いてみました。いつもズボラですみません。(写真)
お月様、青白く涼しげな光りを放ち、素晴らしく、綺麗でした。
十五夜は中国から伝わった行事ですが、十三夜は宇多法皇(一説には醍醐天皇)の時代に始まった日本独特の風習だそうです。十五夜の次に美しい月と言われています。十五夜は里芋など収穫物を供えるのに対して、十三夜は、大豆や栗などを供えるそうです。
十五夜または十三夜のどちらか一方しか月を観ないことを「片見月」と呼び、縁起が悪いことと言われています。江戸時代の遊郭で、客に足を二度運ばせるため、このような言い伝えが生まれたとか・・。(風流ですが、商魂たくましい・・。)
十五夜を観ることができなかったわたしは、片見月になってしまうので、お供え、芋と栗、一緒に置いてみました。いつもズボラですみません。(写真)
お月様、青白く涼しげな光りを放ち、素晴らしく、綺麗でした。