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    <title>Pippinella  Blog 日々の囀り</title>
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    <language>ja</language>
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    <pubDate>Mon, 22 Jun 2015 20:45:19 +0900</pubDate>
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      <title>ことばの生まれる場所へ</title>
      <link>https://pipinera.asablo.jp/blog/2015/06/22/7678208</link>
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      <pubDate>Mon, 22 Jun 2015 20:39:07 +0900</pubDate>
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      <dcterms:created>2015-06-22T20:43:44+09:00</dcterms:created>
      <description>北爪満喜さんの「ことばの生まれる場所へ」（『奇妙な祝福』詩と写真展）に6月20日行ってきました。詩集『奇妙な祝福』について、作者・詩人の北爪満喜さん、と表紙にのっている作品・家のオブジェを作られた美術家のコイズミアヤさん、そして進行役として詩人の野村喜和夫さん、三人による絶妙なトークで詩集の世界、背景が広がっていくのがよかったです。&#13;&lt;br&gt;
　「奇妙な祝福」わたしの好きな冒頭の詩から話は始まりました。夢の中のような詩。雨が、ばしゃばしゃ降り、その中に落ちてくる黄色や緑のくだもの。シュールな色つきの夢のような描写から詩は始まり、今は亡き父や母の姿。そして見知らぬ青年の声とともにわたしは赤ん坊をだいています。温かさとともに。赤ん坊を抱き寄せると急に夢はとび、坂を上ってくる女。その手には小さな赤ちゃん。「この子は残念だけれどロボットとして育てようと思う」女の言葉とともにめざめるわたし。わたしは今日が誕生日だったのだと気づきます。&#13;&lt;br&gt;
　誕生の不思議さがシュールな幻想の夢の中で語られていきます。生まれるのはなぜ。自分の意志ではなく、この世に生を受けてしまう赤ん坊たち。どこからきて、どこへいくのか。あてのない浮遊感。ロボットにあらわされる生への不安。負の様々な要素を抱え込みながら、でも、確かに残る腕の中の温もり。そこには赤ん坊がいたのだという証がわたしの身体に刻まれていきます。&#13;&lt;br&gt;
　野村さんは、この冒頭の詩の答えが「プラネタリウムの記憶を貼る」に描かれているのではないかと推測。わたしは電車の中からビルの並ぶ夜の都市風景を見ています。月が見え、その月のような母の胎内で守られ生まれ出たわたし。「どこにもつながらない無から／来た」とわたしは気づきます。プラネタリウムの星々の記憶をその闇にはりつけるわたし。無から、何もないところからきたのだと闇の中で肯定する繊細な強さがこの詩集のなかに流れているのだと話を聞きながら感じました。&#13;&lt;br&gt;
　コイズミアヤさんのつくる木箱の話もよかったです。箱の中にまた見えない箱が入れ子状に入っていく。外の箱と中の箱が響きあい、きしみあう、その関係が好き・・。コイズミさんの話に導かれるように詩集の表紙をみると、そこにのっている彼女の作品、家の箱も屋根の大部分がはがれ、中の暗闇が見えています。闇と家という器とのきしみ。詩集に濃密に描き出される母や父、祖母の姿、わたしの少女時代。過去という時間が自由に響きあい、拮抗し、だれもいなくなった家の中を幾層にも浮遊していく、心もとなくなる今のわたし。そんなぞくっとする怖くて美しい風景が家と闇のその境界を漂っているのだと思いました。&#13;&lt;br&gt;
生家での古びた鏡の前にたたずみ、ポートレイトを撮る詩もあります（「鏡面」）。（会場に飾られた北爪さんの写真も素敵なのですが・・。）鏡にうつるわたしの顔は別人。「陽に焼かれ闇に冷え／時間をためていた鏡面に／吸い込まれ崩れ／幽かな記憶から出てきたような／みたことのない顔」時間の谷間に入り込んだように鏡面にうつるいくつもの顔。詩の中で入れ子状の箱、マトリョーシカを開き続け、わたしは過去の時間を、家族を少女のわたしを描いたのでは・・。生の奥の無重力地帯・闇からの再生の道を模索したのでは・・、と思ってしまいました。他者、外界との繋がりを光を、言葉や身体を通し、求めていったのだと。綿密な構成によってあまれた詩集。ひとりの少女の出生の物語のようでもあり、その背後には生の不可思議さ、宇宙の暗闇に放り出されたような、怖さ、懐かしさのある大きな世界が広がっているのだとあらためて気づきました。詩集を通してのトーク楽しい、有意義な時間をすごせました。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>詩</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>『詩人中野鈴子を追う』 稲木信夫評論集</title>
      <link>https://pipinera.asablo.jp/blog/2014/10/27/7475430</link>
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      <pubDate>Mon, 27 Oct 2014 18:28:10 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2014-10-27T23:37:25+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2014-10-27T18:31:53+09:00</dcterms:created>
      <description>著名な兄の名に隠れ、歴史の中に埋もれてしまった詩人中野鈴子を、綿密な作品分析と足跡をたどる丁寧な調査で、再評価した評論集の力作である。兄重治とは違い、故郷福井県一本田に戻り、土地に根を下ろし農家を継ぎ、切実に作品を作り続けた鈴子。彼女の詩は、生きていくことと密接に結びついている。社会や時代と戦い血を流し、書き続けた詩人でもある。歌人窪川鶴次郎をはじめ、数々の恋愛があった。しかし、当時の地方農村の女子として、父の言う通りの結婚を余儀なく受け入れてしまう。思い通りにいかない生活の中で鈴子を支えたのは、詩作への情熱であった。抑圧された女性の生きざまを他者になりかわって詩に託した。封建的な厳しい父。家父長制度の中で、酷使され死んでいった妹。東京で華々しく文学活動を展開する兄やその周りの文人たち。様々な人々との交流が描かれ、彼女の詩が人と時代との交わりの中で育成されてきたことがわかってくる。ラジオ番組や講演会の再録、ゆかりのある詩人たちとのインタビューが掲載され、鈴子の人柄や実直な作風通り、親しみやすい血の通った評論集となっている。晩年交流のあった評者の、鈴子への深い敬意が全編を貫いている。彼女の詩。それは、昭和という時代が持つ陰の大きな側面を浮き上がらせる。真剣に生きた一人の女性の内的発語が当時の女性たちの言葉と重なり、大地に染み渡る鈴の音のように広がっていくのを感じた。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
『詩と思想２０１４年９月号』に掲載していただきました。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>詩</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>国民文化祭 現代詩の祭典 山梨</title>
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      <pubDate>Tue, 13 May 2014 00:16:24 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2014-05-16T09:02:15+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2014-05-13T00:27:09+09:00</dcterms:created>
      <description>昨年の10月（書くのが遅くなってしまったのですが・・。）国民文化祭　現代詩の祭典・山梨に遊びに行ってきました。深沢七郎の小説でも有名な笛吹市で開催されました。小説のイメージが強かったのですが、現実は全然違い、美しい山並みに囲まれた穏やかな落ち着いた町。空気は澄んでいるし、あわい光の中でブドウ畑が連なり、いいところです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
私の行った日は、ブドウ棚に覆われた会場（金桜園）で詩の朗読や講演が行われました。山梨県出身の詩人堀内幸枝さんについて鈴木正樹氏から講演がありました。戦中、戦後と厳しい時代の流れを冷静に観察し言葉にたくした作品の数々。その基盤には、永遠の少女としての憧憬、故郷の豊かな自然、・・、多彩な感覚、感情があり堀内さんの世界が幾重にも広がっていくことを作品にそって緻密に講義してくださいました。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
岡島弘子さんの朗読もよかったです。「トンネルをぬける」という長編詩。読み応えがあります。山梨の自然、（水）との関わりが、生きていく力、ものを書きたいという衝動に結びついてくる。瑞々しい感覚、言葉でつづられたこの詩をよむとわたしも日々の小さな自然、生活の中に発見があるのだ、生の原型をみつけることができるのだと実感してしまいます。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
スコレーセンターでは、山梨ゆかりの詩人たちの詩集や詩誌（古屋久昭氏所蔵）約４００冊が展示されていて、面白く読ませていただきました。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>詩</dc:subject>
      <dc:subject>旅</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>矢野静明さん 個展</title>
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      <pubDate>Mon, 24 Feb 2014 14:51:34 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2014-02-24T14:52:23+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2014-02-24T14:52:23+09:00</dcterms:created>
      <description>画家、矢野静明さんの個展が座間駅前の「ギャラリーアニータ」で開かれました。作家トークもあり、楽しく充実した時間を過ごせました。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
幼少時代の体験が絵を描くことと結びついているというお話が興味深かったです。ふたつの貴重な体験談を話されました。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
保育園で黒板に自分の名前を書いた時、「の」の字をわからなくなり、渦のように線を引き続けてしまった女の子のこと。その字を見たときの衝撃がわすれられないと矢野さんは言います。「の」は、「の」という意味を越え既成概念をはずし、黒板の上で限りなくひろがっていく。その衝撃に線の力、形の力を感じ取ってしまったのでしょう。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
また、さるすべりの枝を書いた時。線を移動していく。絵とものが自分の手（身体）でつながっていくということに驚いた。木と手と絵がつながった時、外部にむかって内部の目が開いた。絵を描く喜びがそこにあった・・。とてもわかる気がします。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
矢野さんの持続する、反復する、書くという内在の力は、この二つの出来ごと（出会い）が根底にあるからなのでしょう。プリミティブな内在から湧き上がる力を感じます。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
また光と影のコントラストで奥行きを感じさせる木炭画と平面的な色彩を使った作品の対比もよかったです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
８０年代、色がなにかわからなくなったときに、白黒の木炭画がはじまり、アメリカ、バーモンド州の積雪地帯、色のない土地でくらすことによって色のある作品が出現するその過程も、画家の身体、内在の力と結びついているようでおもしろく聞きました。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
フレームのない作品、形にとらわれない。矢野さんの作品は魅力的です。遊牧民の織物から発想を得たという「移動・移民」シリーズ。布のような水彩紙（フレームがない）に黒の木炭で地塗りをし、色のあるソフトパステルで点を打っていく。点描・繰り返される形が永遠と続く、この作品群。原初的な動く民の力が伝わってくるようで広大な広がりがあり魅力的でした。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>アート</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>詩集『パルナッソスへの旅』</title>
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      <pubDate>Sun, 23 Feb 2014 22:50:15 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2014-02-26T23:49:47+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2014-02-23T22:53:06+09:00</dcterms:created>
      <description>『パルナッソスへの旅』　　相沢正一郎さんの詩集です。大変読みごたえのある詩集です。稚拙な感想ですが・・。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　　　　　　　　　　　　　＊　　　　　＊　　　　　＊&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
言葉の佇まいから、新鮮な息吹の聞こえてくるような詩集だ。日常と小説や詩のテキストの間を言葉は巧みに行き来し、旅を続けていく。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
「ランボーに」ではテレビの画面の砂嵐からランボーの世界に入っていく。でも主体になるのは、ランボーの砂漠ではなく、詩集に挟み込まれたレシートから言葉がたどっっていく作者の日常だ。全編を通し、日常、外部の世界を《風の足裏》詩人の感触でたどっていきながら、古典や小説、詩の世界にも入り込み、そしてまた日常（キッチン）へ言葉は戻ってくる。鮮やかに言葉は様々な空間を行き来する。詩人にとって、日常も非日常（小説や詩の世界）もどちらも書かねばならない大切な世界なのだろう。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
タイトルの一部にもなっている「パルナッソスへ」。月刊誌『毎日が発見』からこの名画を切り抜くというのという設定が暗示的だ。「パルナッソス神殿」はクレーの集大成のような作品。詩や音楽の聖地が美しい色の集まりシンフォニーのように描かれる。その神殿を目指して旅をするというのが、大きな広がりと永遠への憧憬を思わせる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
「声の庭」では、母の死が漂う空間、それに沿うように、庭の自然や日常が色濃く経過していく。虫めづる姫君や源氏物語の引用と重なって、空間がさらに広がっていく。死者のいる世界が、美しく切り取られた日常とテキストの中とそれぞれの交換（交歓）の場を通して生き続けるものになっていくようである。この詩集では発語の源が、まさに平行して流れる日常やテキスト、過去、死・・・、様々な場の交歓によって成り立っているのではないかと思う。もちろん嫌なこと悲しいこと、負の部分も日常にはいっぱいあり、それを感じる言葉もある。でも、最終的には、生への歓びが肯定感が言葉の背後から立ち上がってくるのだ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
「（ろばは　しずかにあるいていた）」では、もう一つのオデュッセウス『二〇〇一年宇宙の旅』を探していた時に、『ジャム詩集』をみつけるという、またまた、暗示的な場面（よく作品が伏線をはって言葉で作り込まれている。）が登場する。「ジャム詩集」から現れた「ろば」がとても不思議な存在だ。テキストから抜け出したように作者のもとに寄り添い、詩編がかかれることを通して作者を通り過ぎていく。クレーの描く天使のような存在。何か深い静かな思索的な空間。旅は、きっとどこかへ行くものではないのだろう。待ち続けること、日常に寄り添うこと（寄り添うものをみつめること）、そしてそれらを通し、静かに通過するものを見送ること、それもまた旅なのだ。充実した静謐な詩空間である。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>詩</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>「ペチャブル詩人」を読みました。</title>
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      <pubDate>Tue, 27 Aug 2013 00:51:07 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2013-08-27T01:02:24+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2013-08-27T01:02:24+09:00</dcterms:created>
      <description>鈴木志郎康さんの『ペチャブル詩人』を読んだ。この詩集は風の詩で始まり、風の詩で終わっている。冒頭の「位置として、やわらかな風」。地下鉄に乗っている詩人。前を見ると一人の若い女性が座っている。その女性と身体が入れ替わる妄想が始まる。妄想の進行とともに味わったことのない身体感覚が生み出され、自分を解き放つ言葉の風が吹き抜けていく。とても爽やかな風。妄想を終え、老いた身体、現実に戻っても、地上の上野、桜の花が満開の状態を予感するわたし。夢想の風、言葉は、舞い戻った現実も豊かに色づかせてくれる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
身体の老い、過ぎ去る時間は誰にも孤独や不安を感じさせるものだ。でも、そういう状態をユーモアたっぷりに客観視するもうひとりの自分がいる。うまく動けない自分を青首大根が笑っていると劇画調に描いたり、蒟蒻を落とした衝撃をペチャブルルというオノマトペで快活に飛躍させたり、言葉の力、風に乗って詩人は、老いから時間から自由に飛び回ろうとしている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
棒きれで円を描き、その中に立ち、自分の領分として楽しんできた（「わたしは詩人です」より）鈴木志郎康さんの極私的な世界。大きな外部に飛びだすのではなく、自分の領分から世界との向き合い、言葉を発してきた、その実りある道のりがこの詩集の背後には積もっている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
あとがきには、「空っぽ」という言葉が何回も繰り返されている。社会的なリタイア、身体の衰え。そして空っぽになっていく自分。でもその空っぽ線を引いた内側には、どこまでも風が突き通る、まだ言葉にはならない深遠な未開の世界が広がっているのではないか。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
巻末の詩。「風が激しく吹いている」窓ガラスの隙間からふきこむ風は、外部の力、激しい時の流れなのだろうか。その風に向かい杖をつき、身体で一人対峙する詩人。思い出すのは、新婚旅行で行った隠岐の國賀海岸。断崖に立つ連れ合い、麻理の姿。「風に乗って飛ぶ。」か。言葉がオノマトペが、存在をゆすぶるように内部から飛び立つ。激しい風、時流に拮抗する詩人の気迫ある姿。極私的な世界から詩を書き続けてきた人の自負と言葉への信頼がそこに立っているように感じられた。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>詩</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>バックヤードツアー 都立多摩図書館</title>
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      <pubDate>Thu, 08 Nov 2012 14:57:59 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2012-11-08T15:12:07+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2012-11-08T14:58:51+09:00</dcterms:created>
      <description>立川にある都立多摩図書館のバックヤードツアーに行ってきました。普段、入ることのできないカウンターバックや書庫の中を図書館員の方が案内してくれます。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
まず、地下２階の書庫から見学スタート。伊能図やダ・ヴィンチ素描図の複製本など、普段見ることの出来ない資料を閲覧させてくれます。伊能図の地図の精緻さびっくり。今はグーグルで検索できますが、手書きでリアルに丁寧に描かれた図面には迫力があります。あの時代どうやって俯瞰図を描くことができたのか不思議です。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
その後は、山本有三文庫のコーナーへ。三鷹市に住居を構え、ミタカ国民文庫を開いた山本有三（今もその建物が記念館として残っている。）。彼が集め、死後寄贈された書籍、資料、自筆原稿が大切に保存されていました。児童書のコーナーでは、大型絵本やしかけ絵本を楽しみ、ほんのりとしたひとときを。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
雑誌の創刊号コレクションもおもしろかったです。約３０００誌の雑誌創刊号の展示。「明星」や「テアトル」などの古い物から順に「週刊新潮」「ａｎ･ａｎ」「ぴあ」「フォーカス」「ダ・ヴィンチ」。時代の流れに沿って創刊号をみていくのもなかなかのもの。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
１６ミリフィルムの保存室では、東京の町並み、記録映画の補修をおこなっていました。傷みがひどいものも多く、ひとつひとつチェックして映写し、修正していくとか・・。地道な作業です。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
地下１階の書庫は圧巻です。公立図書館最大規模の雑誌専門図書館をめざして、１６０００タイトルの雑誌がそのままの状態で保存されています。空調やライトなど保存するための設備が大変だと説明あり・・。電動書架を使い、多数の雑誌が効率よくおさめられていました。迷路みたいでおもしろい。マイクロフィルムの保存室も見学。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
音声読み上げ機なるものも体験させてもらいました。本を機械の上にのせると、そのまま読み取って声に出してくれる。便利なものができたんだと感心。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
企画展は「雑誌でめぐる多摩と鉄道」多摩沿線地域の情報紙や「鉄道ジャーナル」「鉄道ファン」など、鉄道雑誌の展示がありました。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
勤務している図書館も中央館に付随して夏休みの課題図書などは棚に並べるのですが、なかなか独自の企画展をする余裕がなく、うらやましいかぎりです。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
雑誌の収集、これからも膨大な量がふえていく（そりゃそうだ）ので、どのように管理していくかが、課題とのお話。書庫の場所も広げなければいけなくなるので国分寺市に移転する計画があるそうです。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
バックヤードツアー、普段は入ることができない図書館を体験できるので、興味のある方にはお勧めです。随時図書館で募集しています。&lt;a href="http://www.library.metro.tokyo.jp/guide/tama_library/tabid/3590/Default.aspx"&gt;http://www.library.metro.tokyo.jp/guide/tama_library/tabid/3590/Default.aspx&lt;/a&gt;&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>図書館</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>『荒地』を読む</title>
      <link>https://pipinera.asablo.jp/blog/2012/11/01/6620787</link>
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      <pubDate>Thu, 01 Nov 2012 22:09:20 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2012-11-08T15:24:46+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2012-11-01T22:11:45+09:00</dcterms:created>
      <description>　勉強会（？）のため、エリオットの『荒地』を読む。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　難解でした。大きな特徴として引喩性と人称のことを教えてもらいましたが・・・。&#13;&lt;br&gt;
　今まで&amp;quot;I&amp;quot;で書かれていたものが様々な人称を使うことで自分から解放され自由な視点を持ちうるとか・・。。&#13;&lt;br&gt;
　ダンテ、シェークスピア、ギリシャ神話、聖書・・、様々な書物からの引用、コラージュによる作風。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　引用をこれほど使ったのは、教養主義的というよりは、使われる引用の変遷により、伝統（長い時間の流れ）の上に、この作品が成り立っていることをいいたかったのでしょうか。私には難しい～。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
第一次大戦後、退廃的になった町並み、雰囲気、男女関係。それらがシュールに描かれているのはおもしろかったです。女性の体が機械じかけなんて官能的です。水や火がイメージとして巧く使われ、場面の転換、空間が次々に飛んでいくのは、爽快感がありました。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>詩</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>『なずな』堀江敏幸</title>
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      <pubDate>Tue, 18 Sep 2012 20:59:01 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2012-09-20T11:05:38+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2012-09-18T20:59:46+09:00</dcterms:created>
      <description>堀江敏幸さんの『なずな』を読みました。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
弟夫婦が交通事故・病気で入院となり、その赤ん坊を一時預かった男性の育児小説です。男性の名前は菱山秀一。４４歳、独身。伊都川市という地方都市で小さな新聞社の記者をしています。赤ん坊がくることで菱山の生活は一変します。女の人と違い、母子が密着していないからかもしれませんが、なずなと名付けられた赤ん坊との関係は、とても自由でおおらかで風通しのいいものです。愛情に満ちた柔らかな観察眼。鳴き声や手足の動き、顔の表情・・、細部まで日々変化するその様子を菱山はそっと見守り続けます。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
また、主人公を取り巻く環境もなずなとの生活によって変わっていきます。飲み屋のママさん、小児科医一家、マンションの管理人さん・・、なずなを通し、今までふれあうことのなかったそれらの人びとと温かく関わっていきます。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
なずなの成長とともに地方都市のちょっとした事件、時間のゆるやかな流れが描かれていくのも心地よいです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
まどみちおの詩が印象的に引用されています。なずなを守っていたのではなく、なずなに守られていたんだと気づく菱山。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
刺激的な事件や、人間関係が劇的に生じる・・、そんな物語ではないですが、忘れそうなささいな時間の大切さを教えてくれる、ささやかかな瞬間がとても大きな永遠に通じる、輝きに満ちた小説です。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>本</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>『闇の守り人』『夢の守り人』</title>
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      <pubDate>Thu, 06 Sep 2012 21:40:29 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2012-09-07T11:29:59+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2012-09-06T22:08:26+09:00</dcterms:created>
      <description>上橋菜穂子さんの『闇の守り人』と『夢の守り人』も読みました。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
『闇の守り人』&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
女用心棒パルサは亡き養父ジグロの汚名をはらすため、２５年ぶりに生まれ故郷カンバル王国に戻ります。なぜ養父が地位や名誉を捨て、パルサを守り国を出たのか、その謎が明らかになっていきます。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
この話でも現実とは違うもう一つの国（地底の国）が描かれ、死者たちがその国の住人です。パルサと死人ジグロとの戦いは圧巻です。傷つけあいながら、身体と魂が交錯するような感覚・・、とても不思議で美しい。死者を弔うこと、自分のルーツを探ること・・・それらが重なり、パルサの抱えていた心の闇がｊほどかれていきます。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
『夢の守り人』&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
人の夢（満たされない思い）を糧にして育つ花。その花が繁茂する異界にとらわれてしまった人びとを救うため、パルサとチャグムが立ち上がります。花守り（鬼）に変えられてしまった幼なじみタンダとパルサの戦いが切ないです。異界と現実のあわいに住む呪術師トロガイの意外な過去も明らかになります。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
夏休み図書館は盛況でした。なんと１日４００名いらっしゃる日もあります。涼みに来る方もいらっしゃる。すきな本を広げ、それぞれテーブルに座る位置も決まっていて・・。本とともに生活になじむ快適空間を作り出すお仕事。図書館の仕事は楽しい！&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>本</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>『雲の人びと』ジェミア＆ル・クレジオ村野美優訳・『ｆ植物園の巣穴』梨木香歩</title>
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      <pubDate>Wed, 25 Jul 2012 16:53:56 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2012-08-02T18:39:19+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2012-07-25T17:11:15+09:00</dcterms:created>
      <description>『雲の人びと』（ジェミア＆ル・クレジオ著・村野美優さん訳）を読みました。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　ル・クレジオが妻ジェミアの祖先の地、西サハラへと旅するお話しです。果てのない砂漠をひたすら横断する日々。岩の、石の、言葉を刻むように作家は旅を続け、身体に風土を人との出逢いを記憶していきます。移動しつつ、現実を越えて原初的な人々の営みの中へ、伝え聞く神話の世界へ。一体となって帰還していくのです。主役はあくまでも砂漠。今まで妻から語り聞かされた世界がやっと現実の血肉となって作家の中に到来していきます。過去や未来も交ざる至福の時間が訪れるのです。翻訳の詩的で美しい言葉が広大な世界を生き生きと再現させてくれます。挿入された写真もその地に誘ってくれるようで魅力的です。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　「こうして谷の隅々を読み取り、それらを身体に記憶し、その変化や　色の変移を推しはかり、雲の様子を、西に筋雲を、南に軽やかな羊雲を、東の方、錆びた水中の景色のように緑っぽく曇った地面の上に、膨らんだ青白い斑点を窺うことで、わたしたちは何日も、何ヶ月も、何年も過ごすことができるであろう。&#13;&lt;br&gt;
　　遊牧民と定住者（つまり都会人）を分かつもの、それは船上の船乗りや、氷上のエスキモーの能力、すなわちほかの者には虚空しか見えない場所で、わずかな変化に気づき、多様なものに感じ入ることのできる能力である。ここでわたしたちは何もかも学ぶ必要がある。」&#13;&lt;br&gt;
　　　　　　　　　(本文より引用）&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
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&#13;&lt;br&gt;
梨木香歩さんの『ｆ植物園の巣穴』も読みました。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　植物園の椋の木のうろに落ちた園丁である「私」。うろの中には川が流れ、その流れをつたっていくと幼ない頃住んだ家の門前にたどりつきます。死んだはずの懐かしい人たちや不思議なしゃべる動物たちが現れ、時間が現在と交じり、まき戻り、異世界の扉が開かれるのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　川をつたい異世界を旅することで意識的に忘れていた大切な人々の思い出が死が「私」の中に蘇ります。辛い体験を受け入れることにより、「私」の意識は他者へと注がれ、前向きに開かれていくのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　そして最後には「私」にとって嬉しい知らせが・・・。このお話も生命の源泉を言葉の力で探ろうとする一つの長い旅だと思いました。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>本</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>精霊の守り人</title>
      <link>https://pipinera.asablo.jp/blog/2012/07/25/6521932</link>
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      <pubDate>Wed, 25 Jul 2012 14:19:29 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2012-07-25T15:46:47+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2012-07-25T14:27:10+09:00</dcterms:created>
      <description>　たこぶね読書会の課題本になっている上橋菜穂子さんの「精霊の守り人」を読みました。&#13;&lt;br&gt;
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　「精霊の守り人」は新ヨゴ皇国という架空の世界が舞台になっている壮大なファンタジーです。この国では、もともといるヤクー人、隣の王国から来たカンバル人、２５０年前に移住し新しい王国を築いたヨゴ人・・。様々な人種が住み、それぞれの言語、神話を持っています。また、不思議な世界観なのですが、目に見える普通の世界サグと目に見えないナユグの世界が共存しあっています。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　ナユグに住む水の精が新ヨゴ皇国の皇子チャグムに卵を産み付けたことから壮大な物語が始まってしまいます。この水の精の卵が孵ることで大雨が降り、干ばつから人々が助けられるのですが、ナユグに住む化け物（卵食い）が、卵をねらってサグに姿を現し皇子を襲います。また、ヨゴ王も水の精を倒したとされる建国王の名誉と国の威信のため、息子を狩人たちに追跡させます。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　偶然川に流されおぼれかかったチャグム皇子を助けた女用心棒のパルサ。二人の活躍を中心に手に汗握る戦いと冒険のファンタジーが展開します。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　水や自然、両世界のいきものの描写がおもしろく。ナユグとは、アニミズム的な世界を言っているのではないでしょうか。木や花、川の流れ総てに命があふれ、何かが宿っている。そして、それらが命の循環となって力強い世界があふれていく。ナユグの世界を感知できる先住民ヤクー人の言葉は魅力的です。古代からの言い伝えや神話、祭りの歌が水の精の秘密や化け物退治に関わってくるのも、遠いところから届く言葉を追っているようでわくわくしました。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>本</dc:subject>
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      <title>詩と音楽</title>
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      <pubDate>Tue, 29 May 2012 15:53:53 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2012-05-29T16:57:06+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2012-05-29T15:59:07+09:00</dcterms:created>
      <description>　新宿にあるジャスパー・サムライに詩の朗読を聞きに行ってきました。暗いステージの周りに招き猫がいっぱい置いてあってびっくり。猫パワー全開・・。結界に迷い込んでいくようです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　海埜今日子さんの朗読、音楽とよくあって素敵な朗読でした。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　「ゆぶねをうかべて、」浴槽の世界なのですが、海埜さんの言葉にかかると、レース編みのように美しい。水紋が静かに広がっていくように世界の境目、境界に・・、身体の隅々に・・、言葉がしみ通っていくのです。温かく華やかに・・。言葉の湿度、温度、手触り、色彩・・。行っては帰ってくる。言葉が豊富に生き生きとうち広がる。湯舟の中の漣を思います。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　「おきにいりをうて」書くこと。読むこと。書物との狭間。それは、詩人として経てきた道筋でもあり、はかなげなノスタルジーを感じました。降り積もる日々は遠い羽ばたきとなって心の内にやるせなさが残ります。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　「とりのさがながあなたをいばしょだ」金環日食の話がおもしろかったです。とりでもさかなでもなく、おとこでもおんなでもなく、あなたでもわたしでもなく・・・。現実と夢の世界の狭間にいる。美しい日食のように消えていく夢こそが現実ではないのか。とらえることができない消えていくもの、過ぎていくもののかすかな息吹を言葉で体現する。繊細に言葉を織り込んでいく声と絡む音楽。境界をたゆたう切なく心地よいひととき。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　西野りーあさんの北欧やギリシャ神話の世界の朗読も古代からの風が吹きこんでくるようで魅力的でした。独特の世界観。また、聞いてみたいです。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>詩</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>マックス・エルンスト展</title>
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      <pubDate>Tue, 29 May 2012 14:44:48 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2012-05-29T16:57:19+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2012-05-29T14:50:00+09:00</dcterms:created>
      <description>　横浜美術館、マックス・エルンスト展に行ってきました。百頭女の挿絵で名前だけは知っていました。挿絵の官能的で美しい、ちょっと閉ざされた世界かな？？と思う作品群しかしらなかったのですが、印象は一変しました。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　幾何学的な図形を重ねたシュールなリトグラフ。動物なのか人なのかわからない謎の生物があらわれる呪術的な油彩画。森や湖、生命が過剰なほど躍動する作品の数々・・。その多岐にわたる作風の変遷に・・、あっというまに見る時間が終わってしまいました。おもしろかったです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　私が特に気に入ったのは「自由の称賛」という油彩画です。真っ黒な巨大な森が広がり、その中にぽつんと置かれた鳥かご。鳥かごの中には、真っ白な鳥。鳥かごの中にいて動けないはずの鳥なのに、真っ白な鳥は、巨大な邪悪な森と対峙するようなとてつもない広がりを感じさせるのです。凜とした魂そのものが立っているような・・。忘れられない自由ってこういうものなのかも・・。不思議な絵です。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>アート</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>ブコウスキー詩集・ブローティガン詩集</title>
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      <pubDate>Sun, 29 Apr 2012 15:22:37 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2012-04-30T14:29:32+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2012-04-29T15:27:36+09:00</dcterms:created>
      <description>　中上哲夫さん翻訳のブコウスキー詩集『指がちょっと血を流し始めるまでパーカッション楽器のように酔っぱらったピアノを弾け』を読みました。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　１９２０年ドイツで生まれ、３歳でアメリカに渡り、ロサンゼルスやニューヨークで貧困の中、ビート詩人として活躍した作家です。彼の人生を記すように、激しく言葉が刻まれていきます。麻薬と酒に溺れた日々。リアルなストーレートな表現。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　難解な比喩はなく、私小説を読むように、言葉に導かれます。言葉とともに生きることを駆け抜けた、痛々しいまでの疾走感。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　「タフな相棒」という詩は、孤独な作者と幻覚の中で生じる言葉が、リアルな同居人のように同じ部屋で生活していて、言葉は精気を吸い取る生きもののようで。不思議なちょっと不気味な詩編でした。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　中上哲夫さん翻訳のブローティガン詩集『突然訪れた天使の日』も読みました。1935年生まれ。アメリカのビートニックを代表する詩人です。社会から落ちこぼれた世界を描きながらストレートな表現をしたブコウスキーとは違い、斬新な発想。言葉の結びつきの奇抜さ、おもしろさ。俳諧に近いウイット。どこか突き抜けたところがあり、いっきにおもしろく読めました。言葉の造形が美しく、読んでいると目の前に深淵で開放的な映像が広がっていきます。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　恥ずかしながらビート詩人の作品を初めて読みました。ブローティガンの「モンタナ財産目録」引用しておきます。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　　　　　　　　　　「モンタナ財産目録」&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　　　　時速８５マイルで走る車のフロントガラスに&#13;&lt;br&gt;
　　　　サフランの花びらのようにたたきつけられた虫一匹&#13;&lt;br&gt;
　　　　とスピードでなめされたその虫の上にひろがる青空にうかんだ&#13;&lt;br&gt;
　　　　　　　　白い雲一片。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>詩</dc:subject>
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